IEMONG

元銀行員。 FXで旅行してます。
デイトレード中心でたまにスキャルピング。
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海外FXの聖地キプロスを巡る旅|ライセンスの信頼性とは?

IEMONG's-Bizarre-Adventure_cyprus弾丸トラベラー
このブログでは、記事内の一部に広告が含まれています。また、情報提供を目的としたものであり、特定の投資商品への勧誘及び海外FXの利用を推奨するものではありません。

『運命とは 自分で切り開くものである』と ある人はいう…

ジョジョの奇妙な冒険 Parte5 黄金の風 より

これは 「投資」や「資産形成」についても同じことが言えます。

一歩踏み出すことに成功した人は、それぞれが「信頼できる会社」に資金を預け、目標に向かってトレードを重ねています。

そして、莫大な資産を築き上げることに成功する者がいることは事実。

しかし考えてみてもらいたいのは、FXの場合「信頼できる会社」とはどのような会社なのでしょうか?

海外FXについて少し調べてみるとわかるように、「〇〇の金融ライセンスを持っているから安心」だとか……「△△の金融ライセンスだから信頼性が無い」などと言われていますよね。

ライセンスはもちろん信頼性を証する一つの材料ではあります。

しかし、取得の難易度に違いはあっても、大人の事情で規制をかわすためマイナーなオフショア法人を設立し、金融ライセンスを取得しているに過ぎないのではないでしょうか。

つまり、ライセンスを取得していない会社は論外ですが、どこのライセンスであるかは大きな問題ではなく、重要なのは海外FX会社の「実態」です。

どこでどんな会社が運営しているのか「実態」を知らずして、大切な資金を預けることはできないのは言うまでもないでしょう。

しかしながら、実際には、多くの人がネットの情報だけで信頼性を判断しなければならないという状況に置かれています。
海外FX会社は地理的に遠く、それもやむを得ないのですけどね。

しかし、実際に存在するのかしないのかわからないような海外FX会社に資金を預けるのだけは避けたい。できればこの目で会社を見てみたい。

数多く存在する海外FX会社について調べてみると、ある国の名前が浮かび上がってきました。

『キプロス-Cyprus』

FXの旅まとめ

キプロスの概要と歴史

海外FX会社が多く存在するキプロス。

場所は地中海の東の端。

しかし、馴染みが無くどのような国かわからない人が多いでしょう。

キプロスについての概要・歴史を簡単にまとめてみます。

少々長くなってしまったので、興味がない方は キプロスはなぜオフショア金融拠点として成長したのか? まで飛んでいただくことをおすすめします。

cyprus-europe-map

キプロスの概要

東地中海に浮かぶキプロス島はヨーロッパのリゾート地として有名で、地中海の綺麗なビーチや多くの遺跡・山中の教会群など、世界遺産もある観光地としても魅力的な場所です。ヴィーナスとして有名なアフロディテはここキプロスの海で誕生したとされています。

シーズン中は多くの観光客が訪れるキプロスですが、その構成は少々複雑です。

キプロス共和国、通称キプロスは、トルコの南の東地中海上に位置するキプロス島の大部分を占める共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。首都はニコシア。ヨーロッパ連合加盟国。公用語はギリシア語およびトルコ語。
キプロス島の一部は、イギリス海外領土のアクロティリおよびデケリアであり、往来は容易であるものの共和国領ではない。
さらに1974年以来、南北に分断されており、島の北部約37%を、国際的にはトルコ共和国のみが承認する「独立国家」であるトルコ系住民による北キプロス・トルコ共和国が占めている。一方のキプロス共和国は国際連合加盟国193か国のうち、192か国(トルコを除く)が国家承認をしている。
キプロスは元来はギリシャ系住民とトルコ系住民の混住する複合民族国家だったが、分断後は事実上、ギリシャ系によるほぼ単一民族国家となっている。

キプロス(Wikipedia)

つまり、もともとイギリス領であったキプロス共和国は1960年に独立。

ギリシャ系住民とトルコ系住民が生活していたが、1974年に南北に分断。国際的にメインでEUにも加盟しているのが南側の「キプロス共和国(ギリシャ系住民)」で、トルコしか承認していないのが「北キプロス・トルコ共和国(トルコ系住民)」という認識でいいでしょう。

イギリス領の名残でイギリス主権地域が一部に残り、またキプロス島分断以降、国連によって南北衝突抑止のためにグリーンラインが引かれています。

キプロス島-面積

総面積:9,250㎡(日本の四国の半分ほど)
うち キプロス共和国:5,296km2
うち 北キプロス・トルコ共和国:3,355km2
うち イギリス主権(基地領域)アクロティリ及びデケリア:254km2
うち 国連グリーンライン:346km2

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キプロス情報サービス
東地中海に浮かぶキプロス島。多様な文化と歴史、豊かな自然が魅力のリゾート、キプロス共和国の情報を元キプロス政府観光局員・志村暁子が紹介します。

キプロスの歴史

現在の状況からも、過去に複雑な事情がありそうなキプロスですが、少し詳しく歴史を見ていきます。

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キプロス島は、その地理的な重要性から、先史時代から歴史の表舞台に立つ数々の強国の影響下に置かれてきました。

キプロス島には先史時代から文明があったと考えられている。地中海貿易の中継点として栄え、ペルシャ、ギリシア、ローマなど、時代ごとの強大な国家の支配下に置かれた。東西ローマ帝国分裂後は東ローマ帝国に属したが、1191年には第3回十字軍に参加したイングランドのリチャード獅子心王に占領され、その後テンプル騎士団に譲渡されている。
その後エルサレム王国のギー・ド・リュジニャンに売却され、1489年以後はヴェネツィア共和国領となり、1570年から1571年にかけてオスマン帝国に占領された。1878年、オスマン帝国がロシアに敗北を喫したことを機に、統治権はイギリスに移る。当初はオスマン帝国から貸借を受けイギリスが統治するという形式をとっていたが、1925年にイギリスの直轄統治領になる。第二次世界大戦後は反英テロが活発化し、イギリス本国と対立を深めていたが、1960年にキプロスとして独立が承認された。この時に、アクロティリ及びデケリアが成立した。
1974年7月15日に隣国トルコがトルコ系住民の保護を目的に北部を占領。1983年11月15日にトルコ占領地が北キプロス・トルコ共和国として独立宣言し、事実上キプロス共和国の支配下から外れた。1974年のトルコ北部占領時には国際連合が北部(北キプロス)と南部(キプロス共和国)の間にグリーンラインを引き、現在に至る。

キプロス島(Wikipedia)
キプロスの歴史
  • 先史時代~
    オリエント諸国の影響

    ヒッタイト・アッシリアといったオリエント諸国の支配。
    エジプト王朝・アケメネス朝ペルシアの支配。

  • B.C.58
    共和政ローマ属州へ

    プトレマイオス朝エジプトの保護下で地中海の中間貿易港として発展。
    紀元前58年からは共和政ローマ属州となる。

  • 395
    東ローマ帝国支配下

    395年にローマ帝国が東西に分裂後は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の管轄下になり、一時イスラム勢力との共同統治の時期はあったものの、12世紀末まで東ローマ帝国の支配下に置かれる。

  • 1185
    イサキオス・コムネノスの独立政権

    1185年、東ローマ(ビザンツ)帝国の皇族イサキオス・コムネノスがキプロスで叛乱を起こし、皇帝を僭称し同島を占拠。

  • 1191
    キプロス領有権がイギリスへ

    1191年、第3回十字軍の途上にイングランド王率いる船団の一部がキプロス島に漂着したが、捕虜とされてしまう。これに対してイングランド王リチャード1世はキプロスをわずか5日で攻め落とし、以後キプロスの領有権はイギリス王に。

  • 1192
    キプロス王国

    1192年、エルサレム王国の王位をモンフェラート侯コンラードに奪われたギー・ド・リュジニャンは、リチャード1世からキプロス島を譲渡され、以後300年間リュジニャン家がキプロス王位を継ぐことになる(キプロス王国)。

  • 1489
    ヴェネツィア共和国に

    1489年にリュジニャン家は王位継承者を欠いたことから断絶し、最後の王となったカテリーナ・コルネーロはキプロス王国をヴェネツィア共和国に譲渡した。

  • 1571
    オスマン領キプロス

    オスマン・ヴェネツィア戦争 (1570年 – 1573年)では、1571年にオスマン帝国がヴェネツィアからキプロスを奪い、キプロス州(オスマン領キプロス)を置いた。

  • 1878
    イギリスによる統治・併合

    エジプトの植民地化を進めていたイギリスはこの島の戦略的価値に目をつけ、1878年、露土戦争後のベルリン会議でオスマン側に便宜を図った代償にキプロス島の統治権を獲得。 さらに1914年勃発した第一次世界大戦でオスマン帝国がイギリスと敵対すると、同年イギリスに一方的に併合された。

  • 1960
    キプロス共和国独立

    第二次世界大戦後、ギリシャ併合派、トルコ併合派による抗イギリス運動が高まったため、1960年にイギリスから独立。翌1961年、イギリス連邦加盟。

  • 1974
    キプロス紛争・南北分断

    1974年にギリシャ併合強硬派によるクーデターをきっかけにトルコ軍が軍事介入して北キプロスを占領し、さらにトルコ占領地域にトルコ系住民の大半、非占領地域にギリシャ系住民の大半が流入して民族的にも南北に分断された。

  • 2004
    EUに加盟

    2004年、キプロス共和国(南側)がEUに加盟。

世界史好きならたまらないようなワードがたくさん出ています。

先史時代からオリエント諸国の影響を受け、東ローマ帝国支配下、ギリシャ正教の影響を経て、オスマン帝国支配下でのムスリムの流入、そして露土戦争後のイギリスによる統治・併合と、現代につながる流れを調べてみると面白いです。

キプロス問題

1974年から2020年現在に至るまで南北で分断されたキプロス。

このキプロス問題をもう少しだけ詳しくみていきます。

キプロスは、その成り立ちからもともとギリシャ系の住民が多かったのですが、オスマン帝国の支配下だった時期もあったため、ギリシャ系住民とトルコ系住民が混住していました。

第一次世界大戦後にイギリスに併合されて以後、住民によるギリシャ併合派・トルコ併合派の要求の高まりを受けて、キプロスの帰属問題がイギリス、ギリシャ、トルコの3か国の間で協議されました。その結果、中間案として1959年、チューリッヒでキプロスの独立が3国間で合意に至ったのです。

1960年にはキプロス共和国としてイギリスからの独立を果たし、1961年にイギリス連邦に加盟しています。

しかし、1963年には早くも民族紛争が勃発、翌年には国連によるキプロス平和維持隊(UNFICYP)が派遣されました。

さらに1974年には、ギリシャ併合強硬派によるクーデターをきっかけにトルコ軍がキプロスに侵攻。以後、北部はトルコ系住民の「北キプロス・トルコ共和国」、南部はギリシャ系住民の「キプロス共和国」と分断されることになったのです。

分断以後、何度も統合の交渉は行われて来ましたが、分割以前の体制への復帰を望むギリシャ系キプロス共和国と、あくまで連邦制を主張する北キプロス・トルコ共和国の隔たりは大きく、目立った前進はできないでいるようです。

2004年5月1日のキプロス共和国のEU加盟を前に、北キプロスが政治的経済的に取り残されることを避けるため、国連のアナン事務総長の仲介で再び南北大統領による統合交渉が行われました。

その結果、国連案(キプロス問題に関する国連事務総長による包括的合意案)に基づく住民投票行われましたが、南北同時住民投票はギリシャ系の南側の反対多数という結果に終わっています。

2017年には、スイスで初めてキプロス共和国及び北キプロス・トルコ共和国代表に保障国(ギリシャ、トルコ、イギリス)を加えた多国間会合が複数回開催されましたが、十分に歩み寄ることができず合意には至っていません。

とはいえ、2008年にはキプロス分断の象徴とされていたレドラ通りの封鎖が解除されるなど、一定の融和は進められています。

世界で唯一分断された首都ニコシアでは、当然ボーダーがありイミグレーションもあるのですが、一定の条件下で自由に行き来もできるようです。

キプロスはなぜオフショア金融拠点として成長したのか?

キプロスは、1980年代以降大きな経済成長を遂げ、2004年のEU加盟当時においても高い経済成長率・低い失業率を維持し、良好な経済状況にありました。

2010年以降、経済的・文化的に関係が深いギリシャの債務危機に際し、巻き添えのような形でキプロスの金融も深刻な状況に陥ってしまいましたが、現在は EU及びIMFの支援を受け立て直しを図っています。

現在においても、観光業や金融業をはじめとした多くの国際的な企業が立地している経済成長著しい国です。

企業が増加しているということは、それだけの魅力があるということです。

企業にとっての7つのメリットをまとめてみました。

①地理的なメリット

キプロスは東地中海に位置し、ヨーロッパ・アジア・アフリカの接点という地理的な利点があり、多くのビジネスにとって拠点となり得る魅力的な場所です。

②テロの可能性が低い

キプロスは中東やイスラム諸国とも友好関係にありテロの可能性が極めて低い数少ない国の一つとされます。欧州全域でテロの恐れが高まりを見せている中、キプロスへ拠点を移す企業も多いようです。

③EU加盟国であること

2004年にEUに加盟。2008年には統一通貨ユーロを導入。

重要なのは、2007年にMiFID(Markets in Financial Instruments Directive)と呼ばれる法律がEUで成立したことです。
MiFID で認可された企業は、その所在する国の規制ルールに則している限り、EU内全域での営業が許可されることになりました。
つまりキプロスに拠点を置くFX会社の場合、キプロス証券取引委員会(CySEC)のルールを順守していればEU全域で営業できるということです。

MiFID の目的
  • 投資家が一層容易にEUの境界を超えて投資を実行することができ、投資サービスが受けられるようにすること
  • 証券会社がEUの域内単一免許を利用する際の障害を取り除くこと
  • 欧州における取引所間の競争を促進し取引分野を拡大すること
  • 欧州全域にわたり投資家と投資サービスの利用者の適切な保護を確保すること

④低い法人税

キプロスでは積極的に外国からの投資を誘致しており、法人税はEU内で最低水準です。

主要産業は従来から観光業でしたが、FXを含む金融業も集積しておりオフショア金融センターの一面も。

⑤高等教育の充実

キプロスの教育は充実しており、高等教育においても大学の増加に伴い他国からの留学生も増えているそうです。

キプロスの教育水準は高く、大学等の高等教育を受けた人の割合はEU内で最高水準、また外国の大学に留学する人が大多数とのことです。

留学を終え帰国した学生は多くの国際企業が立地するキプロスで重要な役割を果たしているものと思われます。

⑥優秀な弁護士・会計士がいる

政策により、外国からの投資を誘致するうえで不可欠な弁護士事務所や会計事務所が増加しました。もともとキプロスでは教育水準が高かったこともあり、優秀な弁護士や会計士が多く揃うことになりました。

⑦イギリスに準拠した法律

法律は英米法なため安心してビジネスを行えることも、国際企業にとっては魅力の一つです。

キプロスに所在するFX会社を確かめる

そんなこんなで長くなりましたが、個人的な趣味でキプロスの歴史・FX会社を含めた企業が立地するメリットをまとめてきました。

ここまで見る必要があるのかわかりませんが、その国の歴史を少しでも知ることで「今の状況」を理解する手掛かりになる気がします。

キプロスに何らかの拠点があるFX会社を調べてみると、実に簡単にヒットします。

実際にはもっとたくさん存在します。日本語サービスを提供していない会社を含めるとさらに増えます。

もうこれだけで、FXブローカーにとってもキプロスという国は魅力的なんだなと何となく思ってしまいます。

向かうべき場所 そこは…

「信頼できるFX会社」からキプロスへ話が繋がってきましたが、ネットの情報だけでは実態なんてわかりませんからね。

極端な話をすれば、本当に会社が存在しているのかもわからないので。

やはり、実際に行って確かめないと気が済まないのでキプロス行きを決断。

例によって弾丸トラベルなのでできることは限られますが、可能な限りキプロスの街とFX会社をこの目で見てきたいと思います。

キプロスに海外FX会社の「過去」と「正体」はきっとある!

キプロスよ

『キプロス』………

海外FX会社の正体があるッ!

ここを脱出して 向かう場所は「キプロス」だッ!

あたしはどうしても知りたい!自分がどんなFX会社を使っているのかをッ!

それを知らずにロスカットなんてまっぴらゴメンだわッ!

空港に向かうのだ!!飛行機をゲットするッ!

いや!なんとしても飛行機は手に入れなくてはならない!

キプロス島に行くにはどっちみちいずれ!

『地中海』を渡らなければならないのだからな!

キプロスで「海外FX会社の過去」を一刻も早く見つけなければオレたちの負けだ

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